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30年弱の人生で3度のうつ病を経験した私は、自殺もしないで生きています。

      2015/09/13

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虹色りんご(20代女性)と申します。

私は30年弱の人生で、3度のうつ病を経験しています。中学生の頃、就職してすぐの頃、そして現在です。死にたくて、でも自殺を乗り越えました。そして、またうつになりました。それでも私は、毎日一生懸命生きています。

はじめてうつ病と診断された

私が、はじめてうつ病と診断されたのは、大学を卒業して、就職してすぐのころでした。私は、大学を卒業し、不安と期待を胸に、大手企業の営業職に就職しました。

1カ月の研修期間が終わり、実際に営業に回りだしたころ私の体調に、変化が起こりました。だんだんと、ご飯が食べられなくなりました。そして、好きだったゲームにも、興味が持てなくなりました。

元々、私は人付き合いが苦手で、それでも、営業職に就けば克服できるだろうと考えて、必死で頑張っていました。しかし、毎日、長時間の外回りや、ノルマのきつさに参ってしまい、ついには、休日は一日中起きられなくなってしまいました。

布団の中で、起きたり眠ったりしました。起きている間は、意味もなく泣けてきました。一人暮らしで、誰かに愚痴を聞いてもらうこともできず、一人で声を上げて、泣いていました。

それでも、毎日頑張って出勤していました。通勤途中、地下鉄を利用するたびに、電車の前に飛び込みたい衝動と闘っていました。

そんな状態が1カ月続いた頃に、私はついに、出勤することもできなくなってしまいました。朝、身だしなみを整えようと洗面台の前に立つと、足が震えて立てないのです。体中がガクガクと震えて、とても立っていられず、座り込んで動けなくなってしまいました。

これはまずいと思った私は、会社を休んで、メンタルクリニックに行きました。そして、「うつ病」の診断が出ました。

実は二度目だったうつ病

うつ病の診断が出たときに、私はこれがはじめてではないことに思い至りました。中学一年生の頃、同じ状態に陥っていたことを思い出したのです。私は中学一年生で、いじめに遭いました。それは、他クラスの子も巻き込んだもので、クラスのメンバー全員から、無視をされました。

学校に行きたくない。死んでしまいたい。生きている意味なんてない。生まれてくるんじゃなかった。そんな考えが私の頭を支配していました。

でも、そのころはまだ、どうやって死んだらいいのか、分かりませんでした。そして、死に方が分からないまま、中学一年は終わり、二年に進級。クラス替えがあり、いじめはなくなりました。「うつ病」と診断されてから考えてみると、中学一年生のころも、うつだったんだと思います。

三度目のうつ病

最初にうつ病と診断された時、私はすぐに仕事を辞めました。そして、実家に帰り、3か月療養したのち、地元で再就職をしました。そこでは、なんとかうまくやっていくことができ、6年間働くことができました。

働き始めて4年を過ぎたころ、合わない上司が異動してきたことや、自分の立場が変わったことのストレスから、再び調子を崩しました。

そして別のメンタルクリニックで、再び「うつ病」の診断が出ました。毎日異様な疲労感と戦い、時々襲いくる「死にたい」という考えを振り払っていました。薬で症状を和らげながら、なんとか勤めていましたが、それも限界でした。

週5日の勤務ができず、週3日出勤できればよい方で、仕事を辞めざるを得なくなりました。仕事を辞めて、しばらくゆっくりすれば回復するかと思いきや、「働かない私は、ダメな人間だ」という考えが頭を占め、「死にたい」という希死念慮はますます強くなりました。

実際に自殺の準備も整え、いつ実行しようかという状態になっていました。家族も、私の状態を理解しつつも、どう対応してよいか分からず、お互いにぶつかってしまい、より辛い状況に追い込まれました。

しかし、自分で「うつ病」について勉強し、焦りや希死念慮、悪い考えはすべて病気のせいだということを理解しようとしました。自分の考えを冷静にみられるように練習もしました。今ではずいぶん落ち着いています。

一番つらいことと、これから

うつのどん底の時は、とにかく「死にたいけど死ねない」ことが辛かったです。「死にたいほど辛い」ことを理解してもらえないことも、辛かったです。

少し回復してきてからは、異様な疲れやすさが残っていて、それがとても辛いです。少し外出するのも、まるでサバイバルです。病院の待合室で倒れそうになることもあります。

でも、毎日少しずつ生きてます。3度うつになっても、私は生きています。まだもう少し生きてみようかな?今は、そう思っています。

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