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うつ病と診断され、生活保護を受け社会復帰するまでの苦闘

      2015/08/31

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うきき@闘病中(20代女性)と申します。

私は20歳でうつ病の診断を受けました。家族に問題があり、それでも無理に仕事をして倒れ、生活保護のお世話になりました。その後5年間療養し、26歳でようやく社会復帰しました。現在フルタイムで会社員をしています。正直しんどいですが、心を守りながら生きています。

発症

元々家庭環境の問題もありメンタルは弱かったです。それでも、要領が悪いなりに日常生活も仕事もこなしていました。20歳。仕事での強いストレスで体調を崩しそのまま退職。

崩れるように精神状態が不安定になり眠れない、昼夜逆転、発作、毎日「もうダメだ」「私には何もない」といった極端なネガティブ思考。いくら元が弱い私でもここまでの落ち込みは初めてでした。

次の仕事を探さないとと思っても外に出るだけで泣いてしまうのです。意味もなく涙が出て、ちょっと何か言われただけで異常に落ち込む。あと異常にあわててパニックを起こす。ものが覚えられない・・・・自分が壊れていくのがわかりました。

通院

メンタルが元から弱かったけど、とにかく普通の状態では無いなと、抵抗のあった精神科を受診しました。

想像通り「うつ病」の診断が出ました。「就労不能」とも医師に言われ、私は父親に報告しました。無職の私は父親の保険証を借りたので、まずそのことに対してお礼とお詫びをしました。

「お父さん、病院に行かせてくれてありがとう。20代なのに自立してなくてごめんなさい。」

そこからゆっくり、精神科の話をしました。休養が必要であること、少し休んで落ち着いたらちゃんと就職活動をする、だから少しの間休ませてもらえないか?と。

結果・・・ノー。父は心の病に非常に厳しく、偏見もあります。「うつ病は病気ではない」「みんな辛くても我慢して生活の為に働いている」とのことでした。

治療するなら、就職して自分の保険証で治療することと、家から出て行ってもらうことを言われました。一人暮らしをすれば生活がかかっているから、休んでいられない、つまり心の病気なんてなくなる、というのです。ショックでしたが、私の部屋はもう取られてしまい、少ない貯金で家を出ました。もうそうするしかありませんでした。

次の仕事は、ボロボロの精神状態で決めました。本来であれば休養しないといけないのに、私はそれができません。病気を治す薬を得るために、私は病気をもっと悪化させていました。

毎日、仕事が覚えらません。タオルをしぼる力も入りませんでした。身体が震え。話が頭に入ってきません。そして身体が動かず、自分が次になにをしたらいいかわからない、わからないことすらもうわからなくなってきて・・・・でも・・働かないと・・・・・

その後私は出社拒否を起こし、そのまま退職してしまいました。ある日ふらふらと泣きながら歩き、駅のどこかへ・・・そこから意識が消えました。

目が覚めたら病院でした。どうやら倒れて運ばれたらしいです。その後、身寄りのない私は相談員と面談し、生活保護を受給することになりました。

家庭に問題があり、父とも問題があって家に帰れず、追い出されてしまったことが申請の通った要因の一つなのかもしれません。これ以上のことは、生活保護について詳しくないのでわかりません。

自分の部屋での最低限度の生活と、通院と治療の機会を頂けました。そして、人間として壊れた自分をもう一度組み立てる一歩を、踏み出しました。

こんどこそ、しっかり通院

通院は家から近い、継続して通える病院にしました。毎週1日、落ち着いてきたら2週に1度の、本格的な治療が始まりました。主治医と話し、薬の調整、日々の過ごし方を報告し、それに対してアドバイスをもらったりしました。

カウンセリングのように、ひたすら話すことはしませんでした。私の他にも待っている患者さんは沢山いるので私ばかりに先生も時間を取ってはいられないと思ったからです。

深刻な不眠があったので対症療法で眠剤を、気持ちの落ち込みが強く出ているので抗鬱剤を処方されました。これらを組み合わせて十分な休息を取り、落ち着きが取り戻せるまではひたすら休みました。

「今は、休むのが仕事。治ったらちゃんと働くんだ!」と言い聞かせました。このように格好よく書きましたが、実際はそんなにうまくいくはずもありません。

日々押し寄せる不安と絶望に泣き叫び、外に出られなくなったりして、すぐに元気な自分にはなれませんでした。元気かと思ったら、ささいなことでつまづき(出先で嫌な接客をされたとか)落ち込みました。それに対し「やっぱり私はだめだ、弱いんだ」と自分を責めていました。

とりあえず復帰

ある程度回復し主治医の許可も出たので、働くことを決めました。生活保護の職員さんも応援してくれました。 休職したブランクがあってすぐに決まりませんでした。20社くらい応募したら、ようやく採用になり、6時間のお仕事を始めました。

やはり、しばらく働いていなかったのもあり、病気のせいで自意識過剰になってしまったり、持前の不器用さもあって、人間関係には苦労しました。

挨拶はちゃんとできていましたが、ユーモアが言えません。仕事は単純なのに難しく考えてしまいます。作業が遅いし、人が怖くて聞けずに萎縮したり・・・なんてことは無い普通のコミュニケーションができなくなっていて、人間の一番大事なところを奪われた感じがして、余計にへこみました。

それでもクビにはされず、3年近く働きました。お世話になりました。嫌な思いもさせてしまいました。多分皆私を変な人、不思議な人、と思っていると思います。実際そうだし・・・。

自然にふわりとした心でいられたら・・・いたかった。でも実際は、ガチガチの心でした。

無意識のうちに、人と関わる事を怖がり、拒絶してしたのでしょう。だから力が入ってガチガチでした。

以前は、自分の一番の売りは笑顔でした。多少仕事のスキルが低くてもコミュニケーションが上手にできたから、仕事も覚えたりできたんだと思います。

自分のコア(笑顔や明るさ)を奪われて、自分が普通の人ができることもできてないって事実は、ダブルパンチでかなり応えました。

開き治る

ほんとうは開き「直る」ですが、開き「治る」の意味で使っています。誤字脱字ではありません。とりあえず生活保護を受けつつ仕事をして、続けられている事実。自立に向けて、自分のできることをやっている事実があります。

ああ、わたしって頑張っているじゃないかと普段の生活の中で自画自賛なんてしたらちょっとあの人大丈夫?になりますが、自分の心の中で言う分には問題ないと思います。

私は毎日人が怖くてドキドキしちゃいます。電話を取ってパソコンと向かって書類を作ったり、職場の人に質問したり報告や相談をしたり。すごくエネルギー使う事を頑張ってやっていると思います。

よしよし、心がはち切れそうな中よく頑張っているねと毎日言い聞かせています。これが効果があったのか、ゆるやかですが、薬の効果とも重なって、心の落ち着きを保てるようになり、極端な感情の振れ幅は減っていきました。

心を守りながら

あれから転職しました。今度はフルタイムの事務です。すごくハードな仕事で朝から夜まで、従来のサラリーマンの皆様と同じくらいです。病気をクローズにして働いていますので、結構しんどいです。

たまにくる感情の波。仕事がわからない、注意されると必要以上に落ち込みますが、自分の心の中で唱えます。「あぁ、私は心が万全な状態ではないけど、ハードな職場の戦力になるために一生懸命やってんだなぁーえらいえらい!よく頑張っている」と。

いっぱい仕事はあります。でも、これは急ぐって言ってたからやろう。これは明日でいいって、じゃあ今日はやらない!じゃあ最初の急ぐやつ、間違えないように落ち着いて処理しよう、なんて優先順位つけながら、ちょっと力を抜いてやっています。

仕事量を調整することもあります。次の日、元気いっぱいだったら量を増やして頑張ってみます。

甘いかもしれません。でも心にハンデをもつ人間は、壊れないように自分で仕事量をセーブすることで、冷静な心を保てるのではないかと思います。今私が実践していることです。

そして、私は心にハンデがあるけど適応しようと頑張っている、えらいなぁと傷ついた自分を労わって、心のお手当をしてあげています。

自分の力は、10段階で7くらい出せたら大丈夫です。毎日10なんて、壊れちゃいますよ!完璧を求めすぎてはいけません。仕事だから真面目にでずが、頑張り過ぎないで、力を少し抜いてていいですよ。

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